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指標は何を評価するのか~Part 1

蛭川皓平 [ 著者コラム一覧 ]

投稿日時:2010/12/23(木) 10:00rss

1.評価についての混乱
 
 セイバーメトリクスの研究からはさまざまな新しい指標が開発され、それを用いると従来使われてきた伝統的な指標とは異なる選手評価となる場合が少なくない。
 
 特に今のようにシーズンオフになるとタイトルや表彰が確定し、契約更改なども行われ、その年の選手の働きが評価される。ここで、いわゆる従来型の評価とセイバーメトリクス的な評価が一致しないと議論になることがある。
 
 打点とOPSなどの解釈の違いがわかりやすい。セイバーメトリクス側からの主張をとれば例えば「あの選手は打点が多いが、OPSは低い。打点よりOPSのほうが打者を適切に評価するからあの選手を高く評価するのは間違っている」といった具合である。
 
 これに対してこんな反論がある。
 
 「確かに、打者の能力を測るには打点よりもOPSのほうがいいかもしれない。しかし年俸やタイトルなどはその年働いた結果に対する評価であって、それについては打点という“得点を記録した事実”が重要である。本来の能力がどうであれ結果的に貢献したならその分は事後的には評価に値するのであり、能力の評価と結果の評価を混同すべきではない」
 
 これはどのように考えるべきなのだろうか。取りあえず、こういった議論で言われる「適切な評価」とか「能力」とか「結果」とか「貢献」といった言葉が具体的に何を意味するのかを慎重に考えなければ、この手のやりとりは水かけ論になりやすい。
 
 本稿では、そもそも指標をどうとらえるべきなのか、その基本的な部分について考えてみたい。何か選手評価についての重要な結論が出る部類の議論ではないしさまざまな考え方がありうる議論である。考え方をひとつに統合するのが目的ではなく、考察を通じて少しでも指標をより的確に活用するヒントが得られればと思っている。
 
 さて、先に筆者なりの結論を述べてしまうと、「能力と結果は分けて考えるものではなく、問題は選手を評価するのに筋違いな指標を用いることである。“結果だから”という言明はそのような指標を使うことの正当性を何ら裏付けず、どのような数字を指標に用いるかは論理的に検討する必要がある」というところである。以下、その理路について述べていく。
 

2.目的を定める
 
 前提として、指標の意味は目的ありきである。「GDP」とか「完全失業率」などはどちらも社会を理解する上で有用な指標とされるが、経済の規模を調べる目的の解析で完全失業率のほうを指標として使ってしまうとおかしなことになる。すなわち指標の有用性は独立してそれ自体にあるのではなく解析の目的に対して存在する。
 
 ここでは象徴的な議論のひとつとして、打者個人がどれだけチームの得点増に貢献したかを評価するという目的の場合で考えてみる。
 

3.打点という事実
 
 前述したように、OPSやBatting Runsなどの批判としてよくあるのは「実際の結果としての得点を考慮していない」というものである。OPSが高くても実際に得点が記録されなければ意味がない。一方、打点であればその分の点数を対象の打者が確定させたことは間違いのない事実として言える。
 
 この主張自体は確かに間違っていないのだが、打点は対象の打者以外の要素を色濃く反映する。例えば同じようにヒットを打った二人の打者がいたとして、一人は三塁に走者がいる状態で打席に入り、もう一人は走者のいない状態で打席に入った場合、個人としては同じ仕事なのに前者には打点がつき後者にはつかないことになる。前の打者が塁に出ていたことはその打者の手柄ではないからこれは特定の打者の評価としてはおかしい。
 
 走者を生還させる以外の打撃については全て0として同一視され内容が無視される点も問題である。出塁なら四球でも三塁打でも打点による評価では区別されないし、一塁走者を三塁に進める打撃なども評価されない。しかしそれらの内容の違いは、一般的に言ってチームの得点の動向に影響を与えるはずだから打者の働きの違いとして評価すべきなのではないか。打点では「決定」にかかわることが多い長打に偏った打者ほど実態よりも過大評価される傾向にある(コツコツと出塁し進塁をサポートする働きは過小評価される)。
 
 つまり打点は確かに事実・結果を記録してはいるのだが、その記録の仕方は考案者による「このプレーは打者の働きとして評価するが、このプレーはしない」という価値判断にもとづいており、そしてそれは客観的な評価として考えたときに適切とは言えない部分も多いのである。算術を施して導くものでないため事実を単純に記録した基礎的な数字であるかのように思われるかもしれないが、その記録方法は個人の価値観のようなものが強く反映されている。
 
 「現実の得点」の記録がなされていても、そこには対象の打者以外の働きが多く含まれていたり、「現実の得点」だけの評価では重要な働きが無視されたりする。したがって「打点は結果的には事実だ」と言ったとしても、それは打点を使って打者個人を評価することが妥当であることの理由にはならない。能力ではなく結果を評価するというのはいいが、結果は結果でも、それが個人の評価に使うには筋違いな結果であれば評価としての意味は薄れてしまうのである。
 
 チームスポーツは最終的な成果に複数の選手が関係しているので切り分けが難しい。選手の働きと数字として出てくる成果がどのように関係しているかは、ひとつひとつ慎重に検討していくしかない。その上でベターな切り分け方を選定すべきだろう。結果だからどうということではなく、問題は「筋違いさ」である。なお、打点はこのような論点がよく表れる象徴として取り上げただけであり、その性質を理解して利用すれば打点という指標の存在自体に何ら問題がないことは念のため申し上げておく。セイバーメトリクスであればこの問題が完ぺきに解決できると言うつもりもない。後編では、そのことに触れつつ「能力」や「貢献」をどうとらえるかなどについて考える。

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