得点圏打率~Part2
道作 [ 著者コラム一覧 ]
1.三塁走者の管理
先日は得点圏打率についてのスタッツを紹介したが、このようなスタッツを見るとき、スクイズの警戒や、内野の前進守備のオペレーショナルリサーチを見たくなるのは人情でもある。確かに「この三塁走者を還してしまえば即負け」の場面だってあるだろうから一概には言えない。
しかし、原則として「アウトを渡して走者を生還させようとする攻撃を阻止すること一般」の利益と、「特殊な守備隊形を採っていなければ阻止できた安打を許してしまうこと一般」の損失を正確に把握できていなければ、せっかく立てた守備プランも全くの的外れになってしまうのではないか。オーバーマネジメントの一端が顔をのぞかせている、なんてことはないだろうか。
以下は過去7年の得点期待値から、走者が少なくとも三塁に居る場合に、アウトを渡して走者を迎え入れた時の損益と、安打を許してしまった場合の損益である。安打の場合、二塁走者が生還する確率は50%とし、一塁走者は二塁に留まるとの、利益が非常に小さい状況を想定した。それでもこれだけの大差がついている。

この損益実現表を見ると、顕著な例では特殊なイニング・点差の場合でないとすれば、無死二三塁や無死満塁から左翼定位置やや後ろに放たれた犠飛は、イニング先頭打者がアウトになる以上のダメージ(-0.222)を守備側ではなく攻撃側に与えることになる。スクイズなどのアウトを渡して走者を生還させる行為は、攻撃側のBabipが高まるという代償を払ってまで最大限の警戒をすべきプレーなのかという疑問にも繋がる。最初の状況から、本来であれば許してはいない安打を許してしまった場合の攻撃側に発生する巨大な利益を考えると尚更である。
確かに終盤の少得点差のゲームでは話は変わってくるだろうし、守備の変化に応じて攻撃側の対応も変わってくるだろうから全く警戒などしない、などという選択はかえって損失を招くと考えられるが、現在の守備の常識は本当に正しいのかどうか、現行の戦術をどこかで一回見直してみる必要があるのではないだろうか。
実際には長打だってあり得るので得点期待値の相違はもっと大きいだろう。前進していれば進まなかったはずの走者を進めてしまう損失よりも、本来生まれていなかったはずの走者を生かしてしまうほうが致命的な損失に繋がりえるのだ。
特に複数走者時の極端な前進守備は、よほど特殊な状況下にない限り採用には慎重になるべきであろう。
なお、古くから言われた犠打や進塁打で進めて中軸で還すセオリーは、強い打球を放つことが難しかった時代には当然のことだったかもしれない。
外野を越したりする打球は難しい。ならば少しは打てそうな打者の時に、できるだけ内野に前に出てきてもらわなくてはならない。そのことを考慮し、経験から導き出された戦術だろう。考案された時点では正しくもあっただろう。
しかし現在、この攻撃セオリーが正しいのか不明になっているにも関わらず守備側までもがこのセオリーを前提として動き、そのことによって逆にこのセオリーを正しいことにしていないだろうか。それでは自己実現的予言である。
今年のMLBの得点圏打率は走者無の場合と1厘しか変わらないのに対して、NPBでは得点圏の方が1分5厘も高くなっている。そればかりか、NPBでは過去7年間のいずれの年もその差が1分以下であったことはない。
NPBの守備プランは「一点を大事にする」意識が強すぎてもっと大事なものを失っていないだろうか?
2.一塁走者の影響
他にも細かいながら守備側に課せられた制約のため攻撃側のBabipに大きな上下動が発生している。
走者と守備の関係については、巷間よく言われる事柄に「一塁走者の働きかけにより投球や守備に制約を与えること」がある。一塁に走者を置いたとき、無走者の場合に比較して、フェアグラウンドに飛んだ打球が安打になる確率であるBabipは確かに上がっている。走者一塁の場合を合計すると無走者の場合より0.015ほど高い。しかしこの影響は意外に小さいことがおわかりだろうか?
走者一塁の場合は一塁手がベースに近づいて守らなくてはならない。ちょうどNPBにおける1950年以前の一塁手のように、一塁ゴロアウトは取りにくくなっている。また、よく伝えられるようにバッテリーは走者への警戒も怠れない。それを合計してようやくこの程度なのである。三塁に走者を置いた場合に比べてその影響は余りにも小さく感じられる。
一塁に走者を置いたとき、走者をケアしながら必死で投げる投手の姿は映像として見る側に強い説得力を持って迫ってくるだろう。TVの解説者も解説の見せ場とばかりに畳み掛けてくる。因果関係が視覚化されやすく、物語にしやすい場面なのだ。しかし、その数倍の影響力を持った場面についてはどうだろう。
内野が前進していた場面でどの程度の確率で安打が増えたのか。また、他の内野手が守ったり、異なる守備隊形を敷いたとき、どの程度の確率でアウトを奪うことができたと言えるのか。目で見ていてもわからない。錯覚があったとしてもそれを是正するのは難しい。客観的な結果を見せられたとしても、逆にその結果に納得が行かなかったりする。要するに、物語にするのが難しい場面なのだ。
視覚的に影響を判別しやすい状況であることと、実際に影響が大きい状況であることは異なる。
3.犠飛の取り扱い
最後に、犠飛が記録される際の打者の意図についても考えてみたい。
現在、野球ルールの中の公式スタッツには2つの考え方がある。1つには打率・長打率に見られるように、犠飛は意図されたプレーであり、何かを犠牲にしているとする考え方。もうひとつは出塁率に見られるように、そうではなく、単なる外野飛球として凡打の分母に加える考え方。2つの相矛盾する考え方が公然と、公式ルールの正当性の中で混在している状況にある。
もしも犠飛の発生が意図したものであるならば、通常の打席の上にこの「犠飛打席」を乗っけたものが三塁走者有りでの打撃スタッツとなる。この場合、打球構成は相当にいびつなものなるはずである。
しかし、以前に2008年の全打球を調べた際は、犠飛に結びつかなかった外野飛球を合算しても、打球構成に有意な偏りは見られなかった。アウトカウント・走者別の打率を見た場合、打撃結果は犠飛をアウトとした場合に、常識的なものに納まることは先に述べたとおり。
また、もしも犠飛の発生が意図されたものであるならば、NPBにおいては無死又は1死で走者を三塁においた場合の守備は完全に破綻していることになる。例えば犠飛は通常の打席と異なるものとしてアウトの分母に加えない場合。この場合の「犠飛以外の通常の打席」の1死二三塁におけるBabipは4割を超え、OPSは0.971に達している。それだけではなくOPSが9割を超える状況だけで6個を数えることができる。このOPSは投手の打席を含むすべての打者の打席の平均的な結果なのである。ちなみに傑出補正なしの数字で、NPB時代のタフィ・ローズの通算OPSが0.940、イチローのそれが0.943である。
このような犠飛を凡打に算入しない数字を額面通りに取ってしまうと、意図してアウトを与えて得点を得る戦術は完全な自爆戦術となる。実際のところ、言われているほどの効能はない、というだけで有効な局面はあり得る戦術なのだが。
犠飛は本当に何かを犠牲にしているのだろうか?私としてはノイズを回避するため、出塁率の考え方の方向に公式記録を統一する方向性を支持したいところだ。
先日は得点圏打率についてのスタッツを紹介したが、このようなスタッツを見るとき、スクイズの警戒や、内野の前進守備のオペレーショナルリサーチを見たくなるのは人情でもある。確かに「この三塁走者を還してしまえば即負け」の場面だってあるだろうから一概には言えない。
しかし、原則として「アウトを渡して走者を生還させようとする攻撃を阻止すること一般」の利益と、「特殊な守備隊形を採っていなければ阻止できた安打を許してしまうこと一般」の損失を正確に把握できていなければ、せっかく立てた守備プランも全くの的外れになってしまうのではないか。オーバーマネジメントの一端が顔をのぞかせている、なんてことはないだろうか。
以下は過去7年の得点期待値から、走者が少なくとも三塁に居る場合に、アウトを渡して走者を迎え入れた時の損益と、安打を許してしまった場合の損益である。安打の場合、二塁走者が生還する確率は50%とし、一塁走者は二塁に留まるとの、利益が非常に小さい状況を想定した。それでもこれだけの大差がついている。

この損益実現表を見ると、顕著な例では特殊なイニング・点差の場合でないとすれば、無死二三塁や無死満塁から左翼定位置やや後ろに放たれた犠飛は、イニング先頭打者がアウトになる以上のダメージ(-0.222)を守備側ではなく攻撃側に与えることになる。スクイズなどのアウトを渡して走者を生還させる行為は、攻撃側のBabipが高まるという代償を払ってまで最大限の警戒をすべきプレーなのかという疑問にも繋がる。最初の状況から、本来であれば許してはいない安打を許してしまった場合の攻撃側に発生する巨大な利益を考えると尚更である。
確かに終盤の少得点差のゲームでは話は変わってくるだろうし、守備の変化に応じて攻撃側の対応も変わってくるだろうから全く警戒などしない、などという選択はかえって損失を招くと考えられるが、現在の守備の常識は本当に正しいのかどうか、現行の戦術をどこかで一回見直してみる必要があるのではないだろうか。
実際には長打だってあり得るので得点期待値の相違はもっと大きいだろう。前進していれば進まなかったはずの走者を進めてしまう損失よりも、本来生まれていなかったはずの走者を生かしてしまうほうが致命的な損失に繋がりえるのだ。
特に複数走者時の極端な前進守備は、よほど特殊な状況下にない限り採用には慎重になるべきであろう。
なお、古くから言われた犠打や進塁打で進めて中軸で還すセオリーは、強い打球を放つことが難しかった時代には当然のことだったかもしれない。
外野を越したりする打球は難しい。ならば少しは打てそうな打者の時に、できるだけ内野に前に出てきてもらわなくてはならない。そのことを考慮し、経験から導き出された戦術だろう。考案された時点では正しくもあっただろう。
しかし現在、この攻撃セオリーが正しいのか不明になっているにも関わらず守備側までもがこのセオリーを前提として動き、そのことによって逆にこのセオリーを正しいことにしていないだろうか。それでは自己実現的予言である。
今年のMLBの得点圏打率は走者無の場合と1厘しか変わらないのに対して、NPBでは得点圏の方が1分5厘も高くなっている。そればかりか、NPBでは過去7年間のいずれの年もその差が1分以下であったことはない。
NPBの守備プランは「一点を大事にする」意識が強すぎてもっと大事なものを失っていないだろうか?
2.一塁走者の影響
他にも細かいながら守備側に課せられた制約のため攻撃側のBabipに大きな上下動が発生している。
走者と守備の関係については、巷間よく言われる事柄に「一塁走者の働きかけにより投球や守備に制約を与えること」がある。一塁に走者を置いたとき、無走者の場合に比較して、フェアグラウンドに飛んだ打球が安打になる確率であるBabipは確かに上がっている。走者一塁の場合を合計すると無走者の場合より0.015ほど高い。しかしこの影響は意外に小さいことがおわかりだろうか?
走者一塁の場合は一塁手がベースに近づいて守らなくてはならない。ちょうどNPBにおける1950年以前の一塁手のように、一塁ゴロアウトは取りにくくなっている。また、よく伝えられるようにバッテリーは走者への警戒も怠れない。それを合計してようやくこの程度なのである。三塁に走者を置いた場合に比べてその影響は余りにも小さく感じられる。
一塁に走者を置いたとき、走者をケアしながら必死で投げる投手の姿は映像として見る側に強い説得力を持って迫ってくるだろう。TVの解説者も解説の見せ場とばかりに畳み掛けてくる。因果関係が視覚化されやすく、物語にしやすい場面なのだ。しかし、その数倍の影響力を持った場面についてはどうだろう。
内野が前進していた場面でどの程度の確率で安打が増えたのか。また、他の内野手が守ったり、異なる守備隊形を敷いたとき、どの程度の確率でアウトを奪うことができたと言えるのか。目で見ていてもわからない。錯覚があったとしてもそれを是正するのは難しい。客観的な結果を見せられたとしても、逆にその結果に納得が行かなかったりする。要するに、物語にするのが難しい場面なのだ。
視覚的に影響を判別しやすい状況であることと、実際に影響が大きい状況であることは異なる。
3.犠飛の取り扱い
最後に、犠飛が記録される際の打者の意図についても考えてみたい。
現在、野球ルールの中の公式スタッツには2つの考え方がある。1つには打率・長打率に見られるように、犠飛は意図されたプレーであり、何かを犠牲にしているとする考え方。もうひとつは出塁率に見られるように、そうではなく、単なる外野飛球として凡打の分母に加える考え方。2つの相矛盾する考え方が公然と、公式ルールの正当性の中で混在している状況にある。
もしも犠飛の発生が意図したものであるならば、通常の打席の上にこの「犠飛打席」を乗っけたものが三塁走者有りでの打撃スタッツとなる。この場合、打球構成は相当にいびつなものなるはずである。
しかし、以前に2008年の全打球を調べた際は、犠飛に結びつかなかった外野飛球を合算しても、打球構成に有意な偏りは見られなかった。アウトカウント・走者別の打率を見た場合、打撃結果は犠飛をアウトとした場合に、常識的なものに納まることは先に述べたとおり。
また、もしも犠飛の発生が意図されたものであるならば、NPBにおいては無死又は1死で走者を三塁においた場合の守備は完全に破綻していることになる。例えば犠飛は通常の打席と異なるものとしてアウトの分母に加えない場合。この場合の「犠飛以外の通常の打席」の1死二三塁におけるBabipは4割を超え、OPSは0.971に達している。それだけではなくOPSが9割を超える状況だけで6個を数えることができる。このOPSは投手の打席を含むすべての打者の打席の平均的な結果なのである。ちなみに傑出補正なしの数字で、NPB時代のタフィ・ローズの通算OPSが0.940、イチローのそれが0.943である。
このような犠飛を凡打に算入しない数字を額面通りに取ってしまうと、意図してアウトを与えて得点を得る戦術は完全な自爆戦術となる。実際のところ、言われているほどの効能はない、というだけで有効な局面はあり得る戦術なのだが。
犠飛は本当に何かを犠牲にしているのだろうか?私としてはノイズを回避するため、出塁率の考え方の方向に公式記録を統一する方向性を支持したいところだ。
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野球を客観視した独自の論評、分析、および研究を特徴として、野球に関するさまざまな考察をしています。
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